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一般社団法人 日本菌学会 - The Mycological Society of Japan

菌学関係書籍の書評(評者 布村 公一)2

ピーターラビットの野帳

ピーターラビットの絵本は1971年から石井桃子氏訳で福音館から発売,ベストセラーになっているので多くの日本人によく知られている.しかしその著者であるビアトリクス・ポター(以下ポター)氏についてはあまり知られていない.ましてや自然に大きな関心を持ったNaturalistであったことはこの本の刊行によって始めて明らかになったといえる.本の原題は「A VICTORIAN NATURALIST Beatrix Potter’s Drawings from the Armitt Collection」で,載っている図もキノコばかりでなく「ロンドンで出土したローマ人の靴」や「サラグモ」,「アマゾンのオウム」などがある.しかし全体で231図のうちキノコが146図と半分以上を占めていることはポターがいかにキノコに関心を持っていたかわかる.ポターは1866年の生まれで第2次世界大戦中の1943年になくなっている.この本は原題にあるようにポターも会員であったアーミットライブラリーに保存されているコレクションの中からコピーしたポターのオリジナルのイラストとその研究からなっている.

著者は3人の女性で,アイリーン・ジェイ氏はワーズワースの研究家,アーミットライブラリーの名誉会長,この本では「ビアトリクス・ポターとアーミットコレクション」,「ビアトリクス・ポターと考古学」の2項目を書いている.

メアリー・ノーブル博士はエジンバラ大学で菌類学を学びスコットランドの役所で植物病理専門官,パースシャーのナチュラリスト,チャールス・マッキントッシュの生涯を研究,2002年7月20日になくなっている.この本では「ビアトリクス・ポターと郵便屋のナチュラリスト」,「植物の化石のスケッチ」の2項目を書いている.ここには菌学者らしく,小項目としてキノコ学入門が2ページにわたって,二名法の説明,キノコの構造断面の図と説明,ヒダのつき方の図,胞子の発芽の顕微鏡図が出ている.本の性格から読者層が広いので始めてキノコの学問と出会う人に大いに役立つ.

アン・スチーブンソン・ホッブス氏はケンブリッジ大学ニューウナムカレッジで学んで,大英博物館,ビクトリアアルバート博物館(ここにはポター氏の美術コレクションとしては世界最大の「リンダーコレクション」が収蔵されている)に勤務,ポターに関する本を何冊か出版している.最後の項目「ビアトリクス・ポターの自然描写」を書いている.

訳者は塩野米松氏,東京理科大学理学部卒,アウトドア作家,ポター氏の痕跡をたどって英国に旅してアーミットライブラリーに保存されているキノコの絵を中心としたコレクションを見て,ぜひ日本に紹介したいと思っていた.その2年後この原本が刊行されてこういう紹介の仕方があるのだと思ってすぐに日本語に訳した.訳者の気持ちがこもっていて読みやすい良訳となっている.菌類については日本菌学会員七宮清氏(元神奈川県林業試験場)が監修されている.

本書によると,ポター氏がキノコの研究をしたピークは1893~97年の5年間ぐらいで,その後は絵本の製作に専念するようになる.それは時代が女性やアマチュアの研究家を疎外したからである.しかしその研究は濃密で,すべてを紹介しようとすれば専門的な研究をする必要がある.それはポター氏がキノコに大きな魅力を感じたからである.また,ポター氏を支援したチャールス・マッキントッシュ氏の影響も大きいものがあると記述してある.ポター氏を研究する学会がイギリスにはあるくらいなので,今後さらに研究が進むと思われる.この本に出ているキノコの図はすばらしく日本との共通種が多いことを知る上にも役立と考えられる.2,3の友人にこの本を見せたところ皆,関心を持ってくれた.

残念なことは索引が訳出されていないことである.このような本は一度読んだだけでは記憶に残らない.他の図鑑を参考に調べたいこともある.永く読者の座右に置かれるためにもこのことは望まれる.

以前にファーブルのキノコ図鑑が出版されたことがあるが,古い研究を現代にいかすというかたちの本の訳は今までに少ない,新しいかたちの本であるので意味のある出版である.皆様にお読みいただきたい本の一つである.

(評者 布村 公一)